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巡航戦車 Mk.III(''Tank, Cruiser Mk.III'')は、第二次世界大戦中にイギリス陸軍が使用した巡航戦車である。イギリスが大戦を通して使用したクリスティー型の巡航戦車の最初のタイプで、大戦直前に65両が生産され、主に大戦初期に使用された。 == 開発と生産 == 1936年、イギリス陸軍は、主力となる中戦車を軽装甲・高速の巡航戦車、重装甲・低速の歩兵戦車の2種に分けて開発を行うとの決定を下した。当時すでに開発が進められていた中戦車A9が巡航戦車 Mk.Iとして採用されたが、これに使われたスローモーション・タイプのサスペンションは、安定性は高いものの高速走行には向かないものであった。 一方、1936年9月にソビエト連邦軍(赤軍)の秋期演習を見学したウェーベル将軍とマーテル大佐は、アメリカのクリスティー式戦車をもとに開発された快速戦車BTに強い感銘を受け、その結果、イギリスでもクリスティー戦車の導入が図られることとなった。イギリスは、モーリス社が受け皿となってクリスティー戦車M1932を購入するとともにクリスティー本人を技術指導に招き、その改良型の開発が進められた。 ソ連のBT戦車が、特にその最初期はほぼクリスティーの設計そのままだったのに対し、モーリス社が開発したA13は車体が拡大され、巡航戦車 Mk.I とほぼ同型の3人用砲塔が搭載されるとともに、煩雑な装輪走行機能は廃止された。生産はモーリス社傘下のナフィールド社(''Nuffield Mechanisation and Aero Ltd'')が担当、オリジナルのクリスティー戦車にも搭載されていたリバティー・エンジンも、同社でライセンス生産が行われた。 試作車は1937年中にテストが行われ、1938年末もしくは1939年1月には量産1号車が完成、1939年夏までに発注分65両すべてが完成した。 もともと、装甲防御力を犠牲にして高速性能を追求した巡航戦車 Mk.III だが、それでも最大装甲厚14mmはあまりに薄く、1939年初めには巡航戦車の最大装甲厚を30mmに引き上げる訓令が出された。このため、装甲を強化した改良型A19 Mk.II(巡航戦車 Mk.IV)が作られ採用された。一部の巡航戦車 Mk.IIIは、後にMk.IV仕様に改修された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「巡航戦車 Mk.III」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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